サトシ・ナカモトは金を発明したのか【ビットコイン(仮想通貨)】
目次
- サトシ・ナカモトは金を発明したのか
- ビットコインは通貨として機能するか?
- 商品貨幣論と信用貨幣論
- 信用貨幣論と信用創造
- 貨幣の量は増えていく
- 信用貨幣論は嘘っぱちか
- イギリスのゴールド・スミス
- ゴールド・スミスと信用創造
- ビットコインと商品貨幣論
- ビットコインの根拠
- ビットコインは何ものなのか?
- ビットコインのこれから
- おわりに
サトシ・ナカモトは金を発明したのか
さいきん、ちまたを賑わしているものと言えば、とにかくビットコインである。
ビットコインに投資する人々が増加し、ビットコイン長者なる者も多数生まれている。
「次は私が」
「いや俺が」
ビットコイン長者を夢見る人々がビットコインを購入している。
またビットッコインは投資の対象にもなっており、投資家がこぞってビットコインを購入している。
ビットコインを発明したのは「サトシ・ナカモト」と言われる人物(あるいは団体)だ。
サトシ・ナカモトは有名なビットコインの論文を10年以上前に発表した。
その論文に賛同した者たちが、サトシ・ナカモトと共にビットコインを開発した。
ビットコインは今では10年以上も稼働を続け、今でもWebの第一線の話題としてその存在感を示している。
今回はこのビットコインについて、経済学の視点から考えてみたいと思う。
はたしてビットコインは通貨として通用するのか?
それとも「デジタルな金貨」に留まるのか。
それらについて私の考えを示していきたいと思う。
ビットコインは通貨として機能するか?
ビットコインが通貨として機能するかどうかはまだ未知的である。
ビットコインの価値は安定しておらず、気が付くと価値が暴落していた、なんてことがよく起こっている。
このように価値が安定しないビットコインは通貨として信頼できるものになるかはまだわからない。
経済学的に見ればどうだろうか?
さっこん、経済学を賑わしているのはMMT(現代貨幣理論)だ。
MMTは経済学の地動説とも呼ばれ、これが正しいとすると既存の主流派経済学が間違っていることになると言われている。
つまり従来の経済学の常識が天動説になってしまうというのだ。
このことからMMTは主流派経済学者を中心に、猛烈な批判を受けているのが現状だ。
ではここで疑問が起こる。
ビットコインはどちらの経済学の論理で設計されているのだろうか?
主流派経済学か? それともMMTか?
実はビットコインは主流派経済学の論理で設計されている。
そのため、ビットコインは通貨として機能しないという見方もある。
これはどういうことだろうか。
商品貨幣論と信用貨幣論
経済学の主要な論理に↓の2つがある。
商品貨幣論
信用貨幣論
これら2つのどちらかを支持する人たちが、お互いに議論が絶えないのが今の経済界である。
商品貨幣論とは、貨幣そのものに価値があるとする理論だ。
もとは人々は物々交換でやり取りしていて、しだいに物は不便なので硬貨や紙幣を使うようになった。
というのが商品貨幣論だ。
この論理は今の社会で多数派である気がする。
皆さんも違和感なく受け取れる論理だろう。
いっぽう信用貨幣論とは、信用によって貨幣が生まれるという理論だ。
これはどういうことだろうか。
信用貨幣論と信用創造
商品貨幣論では通貨は実際に物として存在している。
そして銀行などは通貨を沢山持っていて、それを人々に貸したりしている。
というのが一般的な考えだ。
しかし信用貨幣論ではこれは異なる。
信用貨幣論では「信用創造」と呼ばれるプロセスが存在する。
信用創造とは信用によってお金が創造される現象のことを指す。
具体例を挙げよう。
とある社長が銀行に100万円を貸してほしいと言う。
銀行はその社長を調べて、会社の経営も順調だし利益もあるし、100万貸しても返してくれるだろうと考える。
そして銀行は「いいですよ」と言って社長の銀行口座に100万円を書き足す。
これが信用創造である。
この様子を見ると、銀行が社長に貸した100万円は何もないところから生まれている。
銀行がしたのは社長の口座に100万円を書き足しただけだ。
これは別名「万年筆マネー」とも呼ばれている。
これが信用貨幣論における信用創造だ。
貨幣の量は増えていく
信用貨幣論では、信用創造によって社会に流通するお金の量は増えることになる。
信用のある社長が銀行に「100万円貸して」と言えば、それだけで社会の中に100万円がポンと生まれるのだ。
(もちろん借りたお金は返す必要がある)
この100万円はモノとして存在する貨幣を渡すのではない。ただの数字である。
信用貨幣論の理屈で言うと、貨幣の量は信用創造によって社会に増え続けることになる。
そしてそれが普通なのだ。
信用貨幣論は嘘っぱちか
この信用貨幣論は、最初聞くと「なに言ってんだ」となるのが普通である。
商品貨幣論のほうが直感的で、私たちの理屈にそっているように感じる。
しかし商品貨幣論では物々交換から貨幣が生まれたとしているが、実はこの物々交換の記録は人類史上見つかっていないのである。
よって人類学者たちはこの商品貨幣論に異を唱えた。
そしてイギリスで起こった銀行の成り立ち(ゴールド・スミス)を見ても、じっさいに信用創造が行われているのだ。
イギリスのゴールド・スミス
イギリスでは昔は金による取引が行われていた。
金塊を使ってモノを買っていたのだ。
しかし金塊は重いしかさばるし、扱いがめんどくさかった。
そこで金匠(ゴールド・スミス)という金細工職人に金を預ける人が増えた。
金匠は堅牢な金庫を持っていたので、金塊を安全に預かってくれたのだ。
金匠は金を預かると金匠手形を渡した。これはペンで色々書かれた紙切れだ。
この金匠手形が紙幣の原型と言われている。
人々はその内、金塊でやり取りするのをやめて金匠手形で取引をするようになった。
重い金塊に比べて金匠手形のほうが楽だったからである。
金匠は預かった金が増えると、今度はその金を他の人に貸し出すようになった。
預かった金が一度に引き出されることはないからである。
しかしある時、金匠の1人は気づいた。
人々のあいだで金匠手形が流通しているなら、自分も金ではなく金匠手形を貸し出すようにすればいいのではないか?
そう考えた金匠は実際に金匠手形を人々に貸すようになった。
貸す相手に信用(返済能力)があれば、金匠は紙とペンで金匠手形を作り、それを渡した。
これがイギリスで生まれた最初の銀行であると言われている。
ゴールド・スミスと信用創造
金匠(ゴールド・スミス)が信用のある相手に金匠手形を作るのは、まったく現在の銀行と同じである。
銀行は信用のある相手の口座に数字を書き足す。
つまり両方ともまったくの「無」からお金を創造していることになる。
このゴールド・スミスの成り立ちは、信用貨幣論の根拠となっているものだ。
商品貨幣論ではこの現象を説明できないのだ。
ビットコインと商品貨幣論
ビットコインは商品貨幣論をもとにしている。
これがわかるのは、ビットコインの発行上限量だ。
ビットコインでは2100万枚が発行上限とされている。
これは典型的な商品貨幣論だ。
つまり、希少価値があるから貨幣に価値が生まれるとする考えだ。
じっさい、ビットコインの価格が上がっているのはこの希少価値によるものだ。
しかしMMTでは、通貨の発行上限量は決まっていない。
銀行が存在し、貸し出す相手に信用があれば、信用創造でいくらでも通貨を作り出せるからだ。
つまりビットコインはその根本的な設計からして商品貨幣論なのである。
ビットコインの根拠
商品貨幣論がいわゆる天動説(つまり間違っている)で、MMTが地動説(つまり正しい)であるとする。
そうすると、商品貨幣論を前提にしているビットコインは間違っていることになる。
MMTが真だとするならビットコインは「通貨(現代的な)ではなく別のなにか」になることになる。
じっさい、ビットコインは国家が存在しないし、発行上限量も決まっている。
そのためデフレに対応しようとしても通貨の量を増やせない仕組みになっている。
つまりMMT的に言えばビットコインはデフレに対応できない通貨になるわけだ。
*デフレとは物の価値が下がり通貨の価値が上がる経済現象のことを指す
ビットコインは何ものなのか?
MMTが正しいとする。
そうすると商品貨幣論を前提に設計されたビットコインは何になるのか?
私の考えだが、ビットコインは現代的な通貨と言うよりは「金」に近いものだと思う。
金は採掘量が決まっているため希少価値がある。
これはビットコインも同じである。
つまりサトシ・ナカモトは、次世代の通貨を発明しようとして「金」を発明したことになる。
これが合っているとするなら、なかなか面白い話だ。
ビットコインのこれから
サトシ・ナカモトによってデジタルな金「ビットコイン」が生まれたわけだが、これからビットコインはどうなっていくだろうか。
金は重くてかさばるから、代わりに金匠手形が流通するようになった。
つまり金の不便さが現代的な通貨が生まれた根拠の1つとなっている。
しかしビットコインは「数字で表された金」だ。
利便性があり、持ってても不便もない。
(盗まれる心労はあるが)
ビットコインが不便なものであれば、歴史的事実からビットコインから新しい通貨が誕生することになる。
しかしビットコインには「不便さ」が足りていない。
そのため新しい通貨は誕生しないかもしれない。
MMTが正しいとすると、ビットコインは通貨として根本的な問題を抱えていることにもなる。
これからの経済学とビットコインの動向に目が離せないだろう。
だが「利便性のある金」というのはどうも引っかかる。
ビットコインは金の改良品なのだろうか?
金に利便性があったら金匠手形は必要なかったことになるが……。
つまりビットコインは過去の歴史を分岐させているのだろうか。
興味深い話である。
おわりに
サトシ・ナカモトは私から言わせると「金」を発明したことになる。
たしかに金も元をたどればただの鉱石だ。
なぜこんなものに価値が出るのか? と思う人がいるだろう。
ビットコインもそれと同じで、なぜこんなものに価値が出るのか? という疑問はつきない。
しかしもともとの金から言って、そういう性質のものなのだ。
つまり人間の持っている価値観が面白いから、ビットコインにも価値が生まれていることになる。
なかなかどうして人間は面白い生き物である。
(^ _ ^) | 人間の価値観が金の価値の根本 |
(・ v ・) | でも金はただの石、ビットコインはただの数字 |