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ビットコインと商品貨幣論 ~ 仮想通貨は通貨なりえるか?

ビットコインと商品貨幣論

昨今、Webを賑わしているのはとにかくビットコインとその周辺の技術だ。
ビットコインという仮想通貨が登場して以降、ビットコインに投資しそしてその技術を使ったプラットフォームが次々に誕生している。

果たしてこのビットコインは、仮想通貨あるいは暗号通貨という名を冠しているが、その実態は通貨足り得るのか?
このことを学ぶには貨幣論について学ばなくてはならない。

結論から言うと、ビットコインは通貨として機能するかはたいへん怪しいものである。
投資の対象とするのはまだいいが、ビットコインを通貨として使うのは誤りと言えるかもしれない。

なぜこんなことを言えるのかと言うと、これは経済学の話になる。
いま、経済学には「地動説」が来襲している。
それは「MMT」という地動説である。

経済学は今、天動説から地動説へと移り変わっていく転換期に入っている。
そしてこれはビットコインの不完全さを同時に証明するものだ。

この記事ではビットコインと商品貨幣論、そしてMMTについて解説する。

ビットコインのベースにある論理・思想はなにか?

ビットコインを考える場合、ビットコインの根底にある論理、そして思想を理解しなければならない。
ビットコインは「商品貨幣論」という経済学の論理と、「新自由主義(ネオリベラリズム)」あるいは「アナーキズム」という思想を根底に抱えている。

商品貨幣論とは「貨幣」そのものに価値があるとする論理だ。
そして新自由主義とは共同体よりも個人を重視する思想だ。

ビットコインは国家に依存せずに通貨を発行・流通させることで個人間の取引を直接的に実現できるというメリットを持つアーキテクチャ(土台)である。
ビットコインを使うことで誰でも通貨を発行し、さらに個人間でビットコインをやり取りすることで国の干渉を受けずに直接取引が実現できる。

これは商品貨幣論をベースとした貨幣運用、そして新自由主義的な思想による個人の力を重視したものだ。

誤解を恐れずに大まかに言うと、これがビットコインの論理と思想である。

ビットコインの仕組み

ビットコインとはそもそもどういう仕組みなのか?
ビットコインでは通貨の取引の履歴を「ブロックチェーン」という分散データベースに保存している。

このブロックチェーンに追加する履歴のデータは「ブロック」と呼ばれていて、これがチェーンのように連なっているからブロックチェーンと言われている。
ブロックチェーンに新しいブロックを追加するには「コンセンサスアルゴリズム(合意形成)」というアルゴリズムが使われる。

ビットコインではマイナー(採掘者)と呼ばれる人々(ノード群)がそのブロックを追加するために競争して計算を行う。
計算とはつまりブロックに改ざんがないかなどの正当性などを保証するための計算である。
そして競争に勝ったマイナー、つまり一番早くブロックを書き込んだマイナーに報酬として支払われるのがビットコインである。

つまりビットコインとは、マイナーへの報酬として発行されるものなのだ。
ビットコインの履歴を保存するのにマイナーが必要で、マイナーは仮想通貨が欲しいがために計算を行う。
マイナーが計算を行ってくれるので、ビットコインのブロックチェーンは維持される。
これがアルゴリズムの基本だ。

商品貨幣論とは何か?

商品貨幣論とは、先ほども書いたように「貨幣そのものに価値がある」とする経済学の論理である。
たとえば皆さんの財布から1000円札を取り出してみて欲しい。
その「1000円札自体に価値がある」とするのが商品貨幣論である。

🦝 < なんだ、当たり前じゃないか

と思われる方が多いと思う。
実はその通りで、この貨幣論自体は現代では当たり前とされている論理なのだ。
当たり前とはつまり、人々のあいだの共通認識としてこの論理が多数を占めているということだ。

だが、最近の経済学ではこの貨幣論は誤りだとする指摘が出ている。

「え!」
と思うかもしれないが、この誤りを指摘しているのが「MMT」と呼ばれる貨幣論だ。

MMT(現代貨幣理論)とは?

経済学の「地動説」と呼び声の高い論理なのがMMT(現代貨幣理論)だ。
このMMTの前では既存の経済学は「天動説」と言われてしまうほど、その存在感を高めている。

商品貨幣論では「1000円札」自体に価値があった。
ではMMTではどうか?

MMTでは「1000円札」は「負債」である。
負債とは借金のことである。

これはどういうことなのか?

貨幣と銀行

お金と切っても切れない関係にあるのが銀行である。
みなさんも自分の銀行口座からお金を引き出す時に、銀行のATMを使うと思う。
銀行口座からお金を引き出すと、銀行口座の預金が減って代わりに「1000円札」などが出てくる。

そしてMMTではこの「1000円札」が負債と言うことになる。
これは何のことかさっぱりだと思う。

お札が誰にとっての負債か? ということを考えると、これはつまり「銀行にとっての負債」ということになる。
もう少し具体的に見て見よう。

銀行の成り立ち

銀行が発行するお札が銀行の負債、というのは銀行の成り立ちを知るとわかる。
銀行は昔は個人がやっていた。

この個人は「ゴールド・スミス」と呼ばれていた。
ゴールド・スミスは、金を預かる人たちだ。

人々は昔は資産を金(きん)で持っていた。
金がつまりお金だったのである。

しかし金は重いしかさばるし、持ち運ぶのも不便だった。
そのため人々はゴールド・スミスに金を預け、変わりに金匠手形(きんしょうてがた)を受け取っていた。
この金匠手形はゴールド・スミスが金を預かっているということを証明する「紙切れ」である。

ゴールド・スミスは預かった金を別の人に貸し出すようになった。
なぜなら預かった金がいっせいに引き出されることはないからである。
そのため金庫に眠っている金を、金を貸してほしい人々に貸すようになった。

ゴールド・スミス達が金を預かり金匠手形を流通させるようにすると不思議なことがおこった。
人々が取引で金の代わりに金匠手形を使って支払いなどをするようになったのである。

これは合理的である。
金は重いわけで、たとえば100キロの金を支払いに使うよりは、100キロの金の金匠手形で支払ったほうが楽なわけだ。
そのため人々は金の代わりに金匠手形を使うようになった。

そこでとあるゴールド・スミスは気づいたのである。
「金じゃなくて金匠手形を貸し出せばいいんじゃないの?」

この瞬間、現代的な銀行が誕生したと言われる。
ゴールド・スミスは金の代わりに人々に金匠手形を貸し出すようになった。
そして人々はその金匠手形で取引をするようになった。

この金匠手形がいわゆる現代のお金、お札である。
「1000円札」の元は金匠手形だったわけだ。

ゴールド・スミスが人々に貸し出す金匠手形は紙切れなので、紙とペンがあれば発行できる。
つまりこの理屈で言うと、銀行(ゴールド・スミス)は紙とペンがあればいくらでもお金を作れることになるのだ。
これは別名「万年筆マネー」とも呼ばれている。

銀行はいくらでもお金を作り出すことができる。
MMTにはこの論理がベースにある。

銀行の負債

金匠手形は人々が金をゴールド・スミスに預けて、その預かり証として受け取る紙切れだ。
つまり金匠手形はゴールド・スミス(銀行)から見ると負債(支払い義務)になるわけである。

これがMMTで貨幣が負債と呼ばれるゆえんである。

銀行と借用証書

人々が銀行でお金を借りると、「借用証書」という紙切れが作られる。
これは銀行からいくらお金を借りたか、というものを証明するものだ。

銀行は万年筆マネーでいくらでもお金を作り出せる。
だからお金を借りたい人にも理論上は無限にお金を貸し出すことができる。

しかし、貸したお金は返してもらわないといけない。
そのため実際には、お金を借りる人の「返済能力」によって貸し出せる額が決まる。
返済能力が高ければ、それだけ銀行から借りられるお金の量も増えるのだ。

企業などが銀行からお金を借りて、大きな事業をやっているニュースなどが報道されることがある。
なぜ企業がそんなお金を借りられるのかと言うと、その企業に返済能力があるからである。

ビットコインの問題点

MMTではお金は銀行の負債であることがわかった。
ではこのMMTが正しいとして、ビットコインは何が問題なのか。

まずビットコインは商品貨幣論をもとに設計されている。
しかしMMT的にはこの論理は間違っている。

さらにMMTで説明できる現代の貨幣として必要な機能が、ビットコインには無いのだ。
そのため引き続きMMTについて解説を続けたいと思う。

インフレとデフレ

経済活動でよく使われる言葉に「インフレ」と「デフレ」がある。
インフレは「物の価値が上がり、お金の価値が下がる」現象のことである。
デフレは「物の価値が下がり、お金の価値が上がる」現象のことを指す。

このインフレとデフレは非常に経済的に重要な考えだ。
たとえば、ここ30年の日本はデフレが続いた。

つまり、物の価値が下がっていてお金の価値が上がったため、みんな貯金して物を買わなくなったのだ。
このため企業の商品が売れず、人々はみんな貧乏になっていった。
日本が30年成長していない(GDP的に)のもこのデフレのせいだと言われている。

MMTとインフレとデフレ

MMT的にはこのインフレとデフレにはどう対処すればいいのか?

MMT的にはお金は無限に発行できるものである。
つまり国家の中のお金の量を、政府がコントロールできる。

これは政府が国債を発行して、日本銀行が持つ日銀当座預金と交換する。
そしてその日銀当座預金から政府が政府小切手を発行して、民間企業からサービスや労働力を買う。
民間企業は政府小切手を銀行に持って行って、銀行預金に変えてもらう。
そして民間企業はその銀行預金を従業員に支払う。
銀行は政府小切手を日本銀行に持って行って、日銀当座預金に変えてもらう。
こういう仕組みだ。

だからインフレになったらお金の量を減らして増税し、デフレになったらお金の量を増やして(国債を発行して公共事業を行って)減税すれば、インフレとデフレに対処することができる、というのがMMTの論理だ。

このMMTの論理で言うと、デフレの日本ではお金の量を増やして減税すればいいことになる。
しかし日本はそれとは真逆のことをやっている。

横道: 日本とMMT

日本では従来の天動説だと言われる経済学が、いまだに根強い力を持っている。
そのため、MMT的な政策を行っていないのが現状である。
MMT派の政治家もいるが、たいへん数が少ない。

日本の低成長は長年のデフレのせいだったわけだが、MMTはこれを解決できる力を持っているかもしれない。
MMTの有識者などの中にはMMTをわれわれの共通認識とするため頑張っている人も多い。

🦝 < 地動説の流布

🐭 < 天動説派の抵抗

ビットコインとインフレとデフレ

話はそれたが、ではMMTがインフレとデフレをコントロールできるとして、ビットコインはなにが問題か?
ビットコインは商品貨幣論をベースにしているが、この商品貨幣論ではインフレとデフレはコントロールできないのだ。
これはビットコインの発行上限数に関係がある。

ビットコインは発行できる上限が2100万枚と決まっている。
これは発行上限を作って貨幣に希少性を持たせて価値を作っているためだ(つまり商品貨幣論の考えである)。
そのため、たとえばデフレに対処しようとして貨幣の量を増やすというのにも限界が出てしまう。
MMTでは貨幣の量は理論上は無限に増やせるが(ただしインフレ率の問題もあるため実際は増やせる量には限界がある)、ビットコインにはそれができないのである。

これがビットコインの問題だ。
つまりビットコインは国家を必要としないが、国家がないために貨幣の量をコントロールする政府もない。
そしてビットコイン自体は発行上限量が決まっているため、デフレのコントロールも出来ない。

ということになる。

ビットコインの問題点

まとめるとビットコインの問題点は↓の通りだ。

  • 商品貨幣論をベースにしている
  • 国家が存在しない
  • デフレをコントロールできない

これらの問題はMMTの視点から見た問題である。
MMTが間違っているとすれば、これらの問題もないことになる。

しかし仮にMMTが正しいとするなら、ビットコインは以上の問題により貨幣としてはたいへん不完全なものになる。

ビットコインのこれから

ビットコインとその関連技術を扱う人々は、経済学とMMTの動向にも目が離せない、ということになるだろう。
ブロックチェーンはビットコインから生まれた技術だが、MMTが正しいとすればそもそものビットコインが前提からして間違っていることになる。

ビットコインの周辺技術は商品貨幣論をベースとした技術になるわけで、商品貨幣論が間違っているならそれらの技術の正当性も揺らいでしまう。
MMTの動向にこれから注目だ。

おわりに

今回はビットコインと商品貨幣論について私の考えを述べてみた。
ビットコインの市場は広がっているが、商品貨幣論が間違った論理だとすると、その市場もおそらく怪しいもののになるだろう。

🦝 < MMTに注目!

🐭 < いまの経済学はおもしろい