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憩室炎で入院したときの記録

  • 作成日: 2023-03-02
  • 更新日: 2023-12-24
  • カテゴリ: 日記

お腹が痛い

昨日の夜から右下腹部が痛い。
鈍痛でたまに痛みが強くなる。

昔、虫垂炎をやったことがあるのだが位置的に虫垂の場所である。
しかし虫垂は切除しているから、また虫垂炎になるということはないはずである。

ということは別の原因で、たとえば腸の炎症などが考えられる。
とりあえず今日は医者に行って診てもらうことにする。

まだブログ記事を書くらいの余裕はあるが、悪化すると困る。

憩室炎だった。入院中。

入院一日目

20日に腹痛がありそれが21日まで継続したため最寄りの内科クリニックを受診した。
そこで血液検査をしたところ白血球の値が12000近くあった。触診による検査をされ医者数人が私の近くで「憩室炎…」「ここでできることは…」「紹介状…」などと相談を始めた。この時点で結構やばそうだと私は認識していた。午後の時間に受診したので時間的にはもう遅かったが紹介状を書いてもらい最寄りの大きな病院の救急外来に行くことになった。女医が「紹介状書くから今日このまま大きな病院に行って。自分で行けるね。そこで検査次第で入院になると思う」と私に言った。私は「にゅ、入院?」と思ったがこのときはまだ実感がわかなかった。
自分で車を運転して救急外来に行く。受付で紹介状を見せるとまるで水戸黄門の印籠のようにスムーズにことが進んだ。熱と血圧を看護師に測られ医者に見てもらう。
「あっぺやったんだって?」医者は私にそう言うと触診を始めた。「痛い」右下腹部に容赦のない医者の触診が襲う。
「うんうん、〇〇先生の言ってるとおりだ」
〇〇先生とは最初に行ったクリニックの医師である。紹介状に症状のことが書いてあったのだろう。
血液検査、CTスキャンを行った。CT検査では造影剤というのを注射するらしく17万分の1の確率で死ぬことがあるというので同意書を書かされた。17万分の1というのは確率から言うと結構高いように思うが私はサインした。
スキャンで造影剤を注射されると全身が熱くなった。界王拳が使えたらこんな感じになるのかもしれない。
データが悪いというので帰宅している外科医師を呼び出すということになり申し訳なくなったが、その外科医師が言うには入院しましょうということだった。
その日のうちに私は入院が決まり、救急外来の患者部屋に移された。九時に消灯ということですぐに消灯となった。私は寝た。

入院二日目

翌朝起きると左腕には点滴が繋がっている。朝の七時ぐらいである。慣れないところで寝た割にはずいぶん熟睡したものだと思った。
看護師が言うには11時に部屋を移るという。11時になり病院の6階の複数人部屋に移された。部屋には先客が3人いてそれぞれのベッドはカーテンで仕切られておりプライバシーは布一枚で確保されていた。
看護師から説明があり「腸を休ませる」「食事なし」「水はOK」と言われた。入院中は固形物を食べられないらしい。書類の控えなどを受け取る。入院中は暇であった。治療と言ってもやることは点滴と血液検査だけで経過を見るという感じである。朝は血液検査があり注射で血液を採取された。その後、担当の外科医師が来て(救急のときと同じ医師)白血球の値が12000から10000に減少していると言われた。CPRという炎症度を示す値は一日遅れで増えるというのでそれ以上の説明はなかった。
入院中は引っ切り無しに看護師が様子を見に来る。頻度的には1時間に1、2回ほどである。点滴の様子を見たり腹部の様子を聞かれたりする。触診もされるのでその度に私は痛い思いをしていた。
部屋を出てすぐ隣にデイルームという部屋がある。そこではテレビを見たり自販機でジュースを買ったりできる。電話機も備え付けてあるがテレビカードを購入してテレホンカード代わりに使わないといけない。
私は自販機でポカリスウェットを2本買うと部屋に戻った。差し入れでお茶もあったがご飯を食べられないので甘いポカリスウェットのほうが美味しいと感じた。
腹痛は定期的に来るが数値的には改善してるということで一安心である。
不思議と点滴を打ってると大して腹も減らなかった。腹は鳴るのだが食欲は大して起こらなかった。
だが同室の他の患者は普通に食事をするのでその食事音を聞きながら自分は食事を我慢しなければならなかった。これは結構きつい。
差し入れのスケッチブックに絵を描いたり予め持ってきていた本を読みながら暇をつぶした。充電器も持ってきてもらったのでスマホでこの記事を書いている。
部屋には鍵付きの棚もあり貴重品はここに入れておくことができる。他にも有料テレビや冷蔵庫などもあった。
私のいるところは6階の西棟だが東棟のデイルームには三ツ矢サイダーが売っていた。どうにかこうにか暇をつぶして九時になり眠りについた。入院中は暇との戦いである。

入院三日目

入院も三日目となった。朝の5時頃に起きて看護師が血液採取にやってきた。だが右腕に鍵のバンドを巻いていて跡がついてしまっていたため採血できない状態となった。跡が消えてから採血することとなった。しばらくして跡が消えたので採血してもらう。どうも私の点滴の進みが悪いらしく看護師が時計で進み具合を確認していた。看護師に「腕は伸ばし気味でお願いしますね」と言われる。どうやら腕を曲げるとその分点滴の進みが遅くなるらしかった。腕を曲げたり伸ばしたりして点滴の進み具合を確認すると確かに腕を曲げると進みが遅くなった。
東棟のデイルームに行って三ツ矢サイダーを購入。部屋で小銭をばらまいてしまい焦った。幸い小銭はすべて回収できた。
担当医師が来て血液検査の結果を教えてくれた。白血球は正常の範囲内に収まったとのこと。この分だと食事もその内できそうである。ただまだ定期的な腹痛はある。だが痛みの強度はそれほど強くない。
絵を描いていたら看護師が来た。看護師が熱と血圧を測りながら「それ何描いてるんですか?」と言ってきた。「見せてもらっていいですか?」と言うので見せたらかなり大げさに驚いてくれた。ちなみに私の絵のレベルはアマチュアで金は取れない絵なのだが久しぶりに生の人間の感想を聞いて恥ずかしくなった。おかげで血圧が140まで上がってしまった。
暇だ。持ってきた本も読み終わってしまう。これが読み終わったらあとはスケッチブックとスマホが頼りである。だがスマホは意外と暇つぶしにならない。使い過ぎるとパケット代がかかってしまうので動画や画像などは見れない。だから掲示板などを見るのだがこれも意外とパケットがかかる。だからオフラインでスマホで暇を潰せるといいのだがそうすると小説を書くか日記を書くぐらいしかない。日記はまだモチベーションが出るのだが小説はなかなか難しい。小説家はどのようにモチベーションを出しているのか不思議でならない。本当に不思議である。あの何百ページも仕上げてしまう原動力たるや恐ろしさえある。それもフィクションはすごい。想像の話を何百ページも書くというのはすごい話である。私も小説を書いていたときはあるが結局モチベーションが持たず続かなかった。だがブログは600記事は書けるというからわからない話だ。エッセイとかのほうが自分は向いているのだろうか?
また夕飯の時刻になり私以外の患者がムシャムシャと飯を食べている。献立はなんだろうか?気になる。夕食の美味しそうな匂いがこちらにまで伝わってくる。その匂いにつられて今度は腹がなってしまう。点滴美味しい。
夜の看護師に変わった。また熱と血圧を測った。そしたらその看護師も絵を見せてくれと言ってきた。どうやらさっきの看護師が他の看護師に話したらしい。
九時になり消灯になり寝た。だが1ぐらいに起きてしまった。やることもないしかといって活動しても他の人の迷惑だし本当に困ってしまった。腹痛は大分治まってきたが、まだ定期的な痛みはある。私は眠いのだが寝れない状態が続いている。何だこの地獄は。入院はつらいものだ。私はなんとか眠りについた。

入院四日目

朝になり起床した。今日は採血はなかった。
特に代わり映えのない生活である。今日は体を拭くことになっている。点滴中なので看護師に手伝ってもらえる。
昨日とは違う医師が来て私も憩室炎やったんですよと言っていた。もう15.6年再発はしていないらしい。右腹の憩室炎は大したことないことが多いらしいが他の憩室炎はけっこう大変だと言っていた。私のかかった憩室炎は上行結腸憩室炎という。つまり運が良かったわけである。
憩室炎というのは大腸の内部に憩室という空間ができる。そしてその小さな空間に糞便などがたまりそれが細菌を出して炎症を起こすというものだ。食物繊維が足りてないとなりやすいと言われる。また再発率も高い。
どうも私の点滴の注射位置がちょうど腕を曲げたときにチャンバーの滴下が止まってしまう位置にあるらしい。十時に点滴を交換しないといけないらしいがまだ1/4ほども残っている。なんと点滴難な状態だろうか。私の状態は看護師から言わせてみれば進捗が進まないプロジェクトである。ええい点滴よ進め突き進め、されば交換の日は近い!
特に書くことがない。病人というのはつまらないものである。体を拭いたのでいくぶんスッキリした。どうも私はかなり臭った状態だったらしい。看護師が鼻を鳴らしていた。
点滴の注射位置を看護師に変えてもらった。これで腕を曲げても滴下するようになった。しかし医療関係者の技能の高さには惚れ惚れする。みな下積みを経てこのスキルを体得したのだと思うと人材の厚みを感じる。こういった高スキルを持った人たちによって日本の医療は支えられているわけで、その基盤を整えるのは並大抵のことではなく歴史を感じざるを得ない。
環境整備というのがあった。人が来て机を拭いたりゴミを捨てたりしてくれた。
全く関係ない話を今思ったのだがなぜ我々は義務教育を9年間受けても自分の適職がわからないのだろうか。9年間も教育を受けたら自分の適職ぐらいわかりそうなものである。しかしほとんどの人は自分の適職が何なのかもわからないまま社会に放り出される。こんなことがあっていいのだろうか。教育と並行して個人の適職を調べていったほうがいいのではないだろうか。私も自分の適職がわからずブロガーなどというものをやっている。この年でこれだから悲惨なものである。いや、ブロガーが適職なのだろうか? そんなことは考えてもなかったが。確かに技術系の記事であれば私は特に苦もなく書ける。だがアフィリエイト系はまた別である。こっちの才能はそれほど無さそうだ。技術系記事の執筆で飯が食えたらいいのだが、世の中はそんなに甘くない。アドセンスもいまいち儲からないし、困ったものだ。Zennで本を売ったほうがまだ稼げるかもしれない。とかそんなことを考えながら午後を過ごしている。よーするに暇なわけであるが。
ゲームセンターが常設してある病院があればいいのだが。世界は広いのでありそうだ。
あと4分で消灯になる。眠剤を貰ったので飲んだ。今日はぐっすり眠れるといいが。

入院五日目

夜中の2時ぐらいに目を覚ます。眠剤は切れてるようだ。それから6時までウトウトしながら過ごす。6時半になり看護師が来た。熱と血圧、それから血液採取をした。隣の人の血液採取が難しいらしく連日のように看護師が苦戦している。看護師も大変な仕事である。入院も5日目になっていよいよ暇が極まってきた。これはもはやどうしょうもない。
今回の入院までの流れを確認しておこう。まず自覚症状としては右腹部の腹痛であった。定期的な痛みと押すと痛みが出る。クリニックで血液検査をしたところ白血球の値が12000を超えていた。これの正常範囲は3000から8000ぐらいらしい。白血球は体の中に炎症などがあると数値が上がる。触診により痛みが大腸にあることから憩室炎を疑われた。造影剤を使ったCTスキャンで憩室の炎症が確認された。その後は絶食と点滴、抗生剤の投与などにより炎症を低減化、現在に至る。
さすがに絶食5日目になると腹の音が止まらなくなる。腹がなんか食わせろと喚いている。隣の人は4日ぶりの飯だと言ってたからわたしはそれより長いことになる。鏡を見るとアバラが透けて膨らんでいた腹も平らになっていた。ダイエットになるなら別にいいのだが今何キロぐらいだろうか?隣の人は息子が看護師の旦那の同級生らしく話が弾んでいた。こっちは必要最低限の会話しかしないが、正直色々話すよりこっちのほうが私は気が楽である。
実は看護師に絵を見られるのが嫌でここのところ絵を描いていなかったのだが今日は久しぶりに絵を描いた。絵を描くと心が落ち着く。退院したらパソコンの時間を減らして絵を描く時間を増やしてみようかな。自分は絵を描いてないと駄目な人間なのではないかと最近思うようになった。自分の原点は実はパソコンではなくて絵なのだ。絵のほうが先だった。それからパソコンにハマってパソコンで絵を描くようになった。私の原点は絵なのだ。それを思い出した。
腹が減って頭が狂いそう。憩室炎の絶食は数日らしいが5日ってどうなんだ。まだ問題ないのか。意識が朦朧としてるが。これで死んだらウケるな。まぁ人間は水だけで1ヶ月はいけると聞くからまだ大丈夫なんだろう。だがキツイな。

入院六日目

一週間ほどで退院できるかと思ったがこの分だとまだかかりそうだ。
今日はご飯が食べれた。朝食。易消化食というものでかゆと具無し味噌汁、プリンみたいな形状のおかず、ヨーグルトである。お粥は三分粥と言って湯が7割の粥だ。完食しても大して腹は膨れなかった。プリンみたいなおかずがすごい美味しかった。
さっき担当の医師が来て食事は2回ごとに量を増やしていくと言っていた。
先ほど昼食を食べた。同じ量だった。医師の話によれば夕食は量が増えるはずである。献立は三分粥、味噌汁、豆腐、牛乳であった。豆腐は大してうまくなかったが味噌汁は相変わらず美味しかった。また塩を入れた粥もなかなかの味である。
新しいお隣さんが入ってきた。手術するらしい。その人のお腹の毛を剃るときに女看護師が「これでおへその口は完了♪」と言っていた。私はドギマギしてしまった。
私より先にいるもう一人のお隣さんはこっちから挨拶しても返事をしてくれなかった。一回目は返してくれたが二回目は無視された。この人は看護師などにはえらく愛想がいいのだが患者には一線引いてる感じが見える。まぁ看護師は自分を看病してくれる人間だし職業や顔や名前も知れているから気持ちはわかる。患者などは得体のしれない人間が集まってくるわけだから警戒するのも無理はない。実際、病院内で他の患者とコミュニケーションを取っている人たちは少ない。みんな人見知りである。
不安感が強くなったので眠剤をもらった。寝たが九時に寝て0時に起きてしまったのでほとんど寝ていない。
今朝の9時前だがまだ腹の緊張が解けない。苦しい。

入院八日目

8日目の朝になり昨日のことを書いている。
昨日は特に変わったことはなかった。経過は順調でこの調子で行くとすぐ退院できそうである。
入院生活が長くなると執筆のモチベもなくなってしまう。
腹の痛みは消失し、あるのは暇な時間と柔らかい便だけだ。
しかし入院中の暇な時間というのは殺人的である。この暇な時間によって脳細胞が破壊されている感覚がある。なにより運動をしっかりできないのがつらい。入院中の運動と言ったら廊下を歩くぐらいである。日に何度も歩くと目立つ。こまったものである。かと言ってベットでずっと横になっていると体が痛くなってくるので駄目なわけだ。
ご飯は今日から全粥になった。おかずも固形物が増えた。病院のご飯はザ・健康食である。バランスが取れていて量は少なめ。私は家ではパスタを作って食べることが多かった。それと比べれば随分健康的な内容である。
同室の人間はひっきりなしに入れ替わる。どうやらここは比較的に軽度な患者が集まるらしい。

入院九日目

今日一日過ごせば明日退院になる。
退屈な入院生活も今日で最後だ。
ご飯はすでに粥ではなく普通のご飯になっている。腹も痛いところはない。腹の虫が鳴るくらいだ。点滴も取れて今はほぼ健康体である。医師からはいつでも退院していいと言われている。
厄介なのは憩室炎は再発の可能性が高いということだ。だから食生活には気をつけなばならない。食物繊維を多く取って和食を中心に食事する。これができればいいのだがなかなか難しい。ご飯、味噌汁、納豆、魚である。これがゴールデンメニューであるから頑張らないといけない。
私はパスタばかり食べていたが食物繊維は足りてなかったと思う。和食は作るのが大変だが作り置きなどをするしかない。
入院生活が長いと人間の機能が落ちていく感じがする。すでに文章の執筆のモチベーションもなくなってきている。スマホで入力しているのだがやはりスマホはキーボードの効率には敵わない。キーボードでタイピングしたい。キーボード禁断症状である。
今日一日は特に何もすることもなくまた一日食っちゃ寝をする。運動したいが院内では散歩はできる。だがあまり散歩しすぎても変人扱いされてしまうので注意が必要だ。実は散歩中に3度も担当医と出くわして気まずくなってしまった。
ベッドの上で大人しく寝てればいいのだが、健康な人間はベッドの上にずっといれるようにはなっていない。
点滴が取れたので体が自由になった。うつ伏せで寝ることも可能になった。これはとても嬉しい。退院も明日だし気分は上向きになってきた。だが暇な時間は無くならないな。
ところでこれからの自分の仕事について考えてみよう。現状、ブログが収入源だがこちらの収入は微々たるものである。だから新しいなにかビジネスを始めないといけないのだが、今取り掛かっているのはアフィリエイトとソフトウェア販売である。だがどうもアフィリエイトは執筆のモチベーションが技術系記事よりも低く、あまり捗っていない。ソフトウェア販売の方は売り物になりそうなソフトウェアを二本作りそれの宣伝をやっていたが宣伝に失敗してまたゼロから宣伝を始めている。かなりのモチベーションと時間をロスしているので我ながら自分は商売が下手すぎるなぁという感じである。開発だけやって販売を他人に任せれば楽だろうが、そんなパートナーもいないし。自分でやるしかないのである。だいたい世の中には個人でも数千マンの利益を上げている個人事業主もいるのに自分と来たら足元にも及ばない。まったく情けない話である。
第一技術系ブログにしたって最初に調べていれば大した収益にならないのはわかったはずである。それなのに私は調べなかった。つまり私には事前調査の能力が圧倒的に足りておらずこれのおかげで苦労しているのである。思慮が浅いというかビジネスのコツをわかっていないというか思いつきの突発的行動が多い。それのせいでだいたい失敗している。
これからの自分の課題は事前調査である。基本も基本だが自分はこれができていない。衝動的に決めてしまう。改善していきたいところだ。

退院した

10日ほど憩室炎で入院していた。
3/2のさきほど退院した。

いろいろ考えさせられる入院生活だった。
天が反省せよと言っているのかもしれない。