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無力感が続く毎日、どう乗り切るか?

  • 作成日: 2022-06-27
  • 更新日: 2023-12-25
  • カテゴリ: 生活

無力感が続く毎日、どう乗り切るか

毎日の無力感。
ある時を境に無力感が強くなりそれが持続してしまう。

こういうことはよくある。
毎日やっているのだが結果がなかなか出ていない。

そうなると無力感に襲われてしまうことがよくある。
果たして自分のやってることは意味があるのか? などと考えてしまう。
だが意味などないのだ。

今回はこの無力感について考えていきたい。

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無力感の正体

無力感の正体とは何なのか?
自分を無力に感じてしまうのはなぜなのか?
これの正体は私は体調にあると思う。
体調によって無力感が引き起こされているのだ。

  • 体調によって無力感が強くなる

人間は周期的な生き物だ。
だれにでも病み期間というものはある。
それまで元気で活動的だったのが急に無力的になり毎日に張りがなくなってしまう。
しかししばらくすると気づいたらこの無力感から抜け出している。

  • 気が付いたら無力感は無くなっている

これは誰にでもある経験だ。
無力感とは周期的にやってくるものである。
だからこの周期を何とかして乗り切るのが大事である。

なぜ人は無力になるのか?

人が無力を感じるときはどんな時か?
これは努力をしていて結果が出ない時だ。
結果が思うように出ないので自分を無力に感じてしまいうつっぽくなるのだ。
これは誰にでも起こりえることだ。

  • 努力をしてるのに結果が出ない

人は努力をすれば結果が出ると思い込んでいる。
しかし実際はそうではない。
結果は出るときと出ない時がある。
努力すれば必ず結果が出るというものではない。

  • 努力は報われるとは限らない

人生経験が少ないほど努力は報われると思い込む傾向がある。
あるいは失敗した経験が少ないとそういう傾向になりやすい。

だがじっさいは努力というものは叶わないことも多いのである。

自分の実力と社会的評価

自分の実力はこんなものなのだろうか?
自分の社会的評価は正しくないんじゃないか?
などと考える。

自分の実力などというものは客観的評価は難しい。
どうしても他人による評価に頼ってしまう。
他人が自分をこう評価しているから自分はこうなんだと思ってしまう。

  • 他人からの評価がすべてだと思い込む

だが他人の評価というものも当てにならない。
たいてい他人は自分にそれほど興味もなく表面的なところだけ見て評価していることが多い。
ということは主観的評価も大事になってくる。

  • 自分の正確な評価は主観的なものも大事

しかし自分の主観的評価と社会的評価は必ずしも一致しない。
自分では自分は大したやつだと思っていても社会はそのようには評価しない。
そうすると社会に対して憤りも感じるようになってくる。

自分の社会的ポジションを見失う

自営業をやっていると自分の社会的ポジションを見失うことがある。
社会との接点が少ないので自分の社会への所属感が薄れるのだ。
毎日起きて食事をして1人で仕事をする。
その繰り返しが平日中に続き土日は1人で息抜きをする。

  • 1人で仕事をして1人で遊ぶ

こんな感じに1人で過ごす時間が増えて社会との接点が少なくなると社会性が低下していく。
そうすると自分の社会的なポジションもわからなくなる。
社会における自分の立ち位置を見失うのだ。

  • 孤独は社会性を低下させる

人間は社会的な生き物である。
だから社会性を失うと人間らしさも失われる。
人間は孤独で生きていけるようには設計されていないのだと思う。

孤独だと寿命も短くなるらしい。
やはり人間には話し相手が必要なのである。

毎日のルーチンに心が疲れている?

毎日の同じようなルーチンに心が疲れているのではないか?
毎日同じようなことを繰り返して生きている。
そうすると心への刺激が少なくなり心が生き生きと動かなくなる。

そうして無力感に襲われるのではないだろうか?
つまり心の健康度が下がっているのが原因で無力になっているのだ。

  • ルーチンで心の健康度が下がる

そうすると心の健康度を取り戻すのが大事だということになる。
何か心に精神に新鮮な風を吹き込んで生き生きと活動しなければならない。

  • 心に活力を

心に風を! 精神に活力を!
守護神イシドールスよ、私はどんな嵐であろうと受け止めて見せよう!
私に心の友を!

気晴らしに何か普段と違うことをやる?

気晴らしに何か普段と違うことをやるのはどうだろうか?
毎日の決まりきったルーティンから抜け出して新しいことをやる。
そうすれば心の健康度が上がるのではないだろうか?

  • 何か新しいことをやろう

ふむ。たしかにそれは一理ある。
人間は同じことをずっとやると発狂すると聞く。
つまり人間は常に違うことを、違う体験を求めているのだ。

  • 人間は新鮮な刺激を求めている

無力感に襲われて心の健康度が下がっているのなら何か新鮮なことをやらなければならない。
これは死活問題だ。
いつまで無力感に襲われているつもりだ?
こんなとこさっさと抜け出して新しい世界に行こうぜ。

ヒトリカラオケに行こう

それならばヒトリカラオケは有効な手段だ。
カラオケで大きな声を出して歌う。
これは普段とは違う日常だ。

普段から大きな声を出し続けている人はいない。
大きな声を出すというのは非日常なわけである。

  • ヒトカラで非日常を体験しよう

ヒトリカラオケでストレスも発散できる。
無力感はストレスから来ているものかも?
そうなるとカラオケで発散すれば無力感も消えるかもしれない。

  • 無力感はストレスから来ている?

歌を歌うのは治癒効果がある。
歌を歌って心身を回復させるのだ。

ドライブに行こう

あるいは車を持っているならドライブに出かけてもいいだろう。
車でドライブをしてカーステレオをかけながら車内カラオケをしてもいい。

普段は通らない道を通ってみるのもいい刺激になるかもしれない。

探検するのだ。
住み飽きたこの街を探検するのだ!
まだ発見があるかもしれない。

  • 街を探検してみよう

無力感で時間を無駄にしていることに比べればドライブは非常に有意義な時間と言える。
ドライブでいやなことを忘れ歌ってストレスも発散。
そうすれば無力感から抜け出すこともできるかもしれない。

深く考えることは身体に毒でしかない

無力感に襲われたからと言ってそのことを深く考えすぎるのはよくない。
深く考えるのは体に毒だ。
考えすぎは万病のもとである。

考えすぎずに適当にやるのが吉である。

  • 考えすぎず適当にやろう

普段から考える仕事をしている人はうつになりやすいかもしれない。
頭を普段から酷使しているので脳みそも疲れやすいのだ。

だが考えすぎて脳を疲弊させるのはあまり得策ではない。
脳も臓器である。
大切に扱わなければいけない。

考えすぎず適当に生きるのがコツ

真面目な人は病みやすい。
だが考えすぎてしまうのは何度も言うが身体に毒である。
だから深く考えないで適当に生きたほうが良い。

  • 深く考えすぎるのはやめよう

無力感に襲われるのも一過性のものかもしれない。
つまり時間が経てばまた元に戻るのだ。
人間の回復力はすごいものがある。

時間をおいて回復すればまた元気に仕事や遊びもできる。

  • 人間の回復力を信じよう

なにも辛い時期を深く考えすぎる必要はないのだ。
これは周期的なものである。
時間がたてば過ぎ去っていく類のものだ。

他人と比較すると無力感が強くなる

他人と比較しやすいのが現代人だ。
だが他人と比較するのはあまり良いことではない。
比較するのは非常に疲れることなのだ。

  • 他人との比較は疲れる

だから自分と他人を比較してしまうのはやめたほうがいい。
だが会社勤めだとなかなかそうも言ってられない。
同期や後輩などと比べられてしまうのが常だ。

比較されながら生きるのが日本の社会人だ。

だが比較されてストレスを感じると無力感が強くなってしまう。
だからむやみな比較は危険だ。

自分は自分、他人は他人

自分は自分であり他人は他人なのだ。
他人がどのような人生を送ったところでそれは自分にはほとんど関係ない。

自分の人生は自分のもの、他人の人生は他人のものだ。

  • 俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの
  • (ちがう)

だから自分と他人を比較して優劣を感じるのはあまり良いことではない。
自分より下だと思う人を見て優越感を感じることも人間はよくある。
逆に上を見て劣等感を感じることもよくあるのが人間だ。

だがそれは自分の幸福が他人に依存してしまっていることになる。
そうなると自分の幸せは他人次第になってしまう。
それはデンジャー、危険である。

比較は昨日の自分とだけしよう

比較するなら昨日の自分と比較しよう。
昨日の自分であれば今日の自分は超えられるかもしれない。
超えられない場合もあるが常に昨日の自分と比較すればその内超えることは可能だ。

昨日の自分より落ち続けていくというのはあり得る話だがめったにない。
人間はその日の調子で生き方がガラリと変わるのである。
だから落ち続けていくということはめったにない。
たいていはグラフは上下を繰り返して平均的なところに落ち着く。

  • グラフは平均的に落ち着く

比較は昨日の自分とだけするようにしよう。
今日の自分は昨日の自分を超えられるように頑張ればいいのだ。
それが経済的である。

無力感をやっつける方歩

それで無力感をやっつける方法はあるのだろうか?
このどうしようもない、まったく不要と思われるネガティブな感情を退治するにはどうしたらいいのか?

これは

  • 運動をする
  • 寝る
  • 無力感が過ぎるのを待つ

のいずれかが使えるだろう。

抗うつ剤など薬に頼る方法もあるがそれはあまり健康的ではない。
薬を否定するつもりはないが特に病気を持っていないのであれば極力薬は使わないほうが良い。
自分のベースにある回復力を使うのだ。

運動をする

運動をすると活力が戻ってくるというのは一般的な話だ。
運動によって身体にダメージを受けると身体はそのダメージを回復しようとする。
そうするとその回復によって不快な調子も薄れるというものだ。

だから汗をかいて運動をしてあとは超回復に任せる、
そうすれば無力感から脱出できるかもしれない。

  • 運動をしてあとは身体に任せる

だが無力感で身体が無力になっている時に運動をするというのも酷な話だ。
なにかもっと手軽な方法がいい。
運動なんかしたくない。
そう思う人は多いのではないだろうか?

寝る

寝てしまうのも手だ。
無力感でどうしようもないなら寝てしまうのも1つの方法である。

だが寝すぎてしまって目がバッキバキに覚めてしまっていると中々寝られない。
そうなると逆に暇な時間も増えてしまう。

  • 目がバッキバキに覚めてしまう

だからこの寝るというのは運動と組み合わせるといい。
運動をしてその後に寝るのだ。
そうすると運動によるダメージと睡眠による超回復で自然と元気が湧いてくる。

ただ寝るだけではだめだ。
ずっと寝てたら床ずれしてしまう。
運動を頭の片隅に置いておこう。

無力感が過ぎるのを待つ

あとは無力感が過ぎるのをただ待つ、という方法だ。
時間に任せるのだ。
これが一番普遍的な方法である。

無力感が周期的なものであればその周期を過ぎればまた普通になるということだ。
だから特に抵抗せずに無力感に浸るというのも1つの手だ。

  • 抵抗せずに無力感に浸る

人間には恒常性というものがある。
これは身体を同じ状態に保とうとするものだ。

無力感によって身体が偏ったらそこからまた普通に戻そうとするのが人間なのだ。
人間は自然と回復するようにできている。
だからほっといても大丈夫なはずだ。

  • 恒常性によって体は元に戻る

どうしても抜けられない場合は医者に相談するのがいいだろう。

おわりに

今回は無力感について考えてみた。
無力感に襲われたらここに書いてあることを試してみると吉かもしれない。

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