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思い出し怒りが止まらない!その底に潜む「悲しみ」

  • 作成日: 2022-04-14
  • 更新日: 2023-12-25
  • カテゴリ: 生活

思い出し怒りが止まらない!そんな時はどうしたら?

思い出し怒り」とは、前にあったことを思い出して、それを原因にして怒ってしまう現象のことを言う。

たとえば上司に叱られた、知り合いに侮辱された、友達に馬鹿にされた、など。
そういったネガティブな経験を記憶として思い出し、結果、怒りに身を任せてしまう。

怒りは長く続き、しばらく止むことはない。
怒りにかられた人間はそれを発散しようと大声を出したり物を壊したり、誰かに八つ当たりしたりする。

こういった思い出し怒りは誰にでもあることだが、これがひどいと生活に大きな支障が出る。

QOL(生活の質)が低下し、いつもイライラが止まらずに怒っている状態になってしまう。

こういう時に私たちはどうしたらいいのだろうか?
これを考えていきたい。

嫌な記憶

人間は良い記憶よりも悪い記憶のほうが強く長く残ると言われている。
これは悪い記憶を脳に記録することで、再びそういったことが起こらないようにしようという人間の仕組み的なものであるという。

たとえば昔はガケから落ちたとか、岩場で足をケガしたとか、そういった自分の生命に影響を与えるような出来事が多かったのだと思う。
そういった悪い場所を記憶し、そこを避けるようにすることで自分を守ることができた。
つまり悪い記憶というのは生き抜くうえで必要な情報であったということになる。

悪い記憶を記憶できないと人は、同じ過ちを何度も繰り返してしまう。
昔の原始的な生活であったら、そんな人間は長生きができない。

よって嫌な記憶が強く長く残るというのは、ごくごく自然なことで、私たち人間が持っている基本的な機能といえる。
つまりこれを抑えようとすることは、いわば遺伝子にさからうことであり、大きな苦しみを生むことになってしまう。

嫌な記憶は嫌な記憶として持っていていいわけである。
無理に忘れようとする必要もないと思う。

嫌な記憶から怒りが発生する仕組み

心理学的には「怒り」とは第2感情であるという。
つまり原因によって第1の感情が生まれ、そこからさらに第2の感情である怒りが生まれる。

臨床心理士の人がよく言うのは、怒りの底にある感情を見つめるということだ。

第1感情には不安や恐れ、悲しみが含まれるという。
つまり「恐れ → 怒り」、「悲しみ → 怒り」という順番で感情が生まれていくというのだ。

怒りをとらえることは、そういった表面的な部分をつかむにすぎず、本質はもっと第1感情である根っこの部分にあるという。

たとえば上司に叱られた記憶を思い出して怒りが湧いてくる。
これは上司に叱られたことで不安だったり悲しみを感じているということだ。
そしてそこから怒りという感情が生まれる。

つまりそういった不安や恐れ、悲しみと向き合うことが、結果的に怒りを抑えることにつながるということである。

キューブラー=ロスの「死の受容プロセス」

アメリカの精神科医であるキューブラー=ロス氏は死と直面している患者を観察し、「死の受容プロセス」を提唱した。
それは↓の5段階である。


【否認・隔離】

自分の死を認められない段階。

【怒り】

なぜ自分が死ななければいけないのか、その憤りを周りにぶつける段階。

【取引】

死なずにすむように宗教や哲学などにすがろうとする段階。

【抑うつ】

うつうつとした気分で何もしたくなくなる段階。

【受容】

死を受け入れる段階。


キューブラーのプロセスはネットでは「悲しみの5段階モデル」とも書かれることがある。
このモデルでは悲しみの過程に怒りの段階が存在する。

怒りの前段階には「否認」がある。
つまり何か出来事があり、それを受け入れられない状態が悲しみの初期段階といえる。

たとえば友達に馬鹿にされたことを考える。
友達に馬鹿にされたことを「否認」し受け入れられない。
その結果、次に「怒り」の段階へと進む。

キューブラーのモデルではこういった説明ができる。
つまり友達に馬鹿にされたという事実を認められないわけである。

たしかに自分が馬鹿にされてそれを認められないというのは正常な反応である。
ふつう、自分が馬鹿にされてヘラヘラと笑える人は少ない。

しかしこのモデルの最終段階が「受容」であるなら、怒りを飛び越えてさっさと受容してしまえば、怒りも少なくて済むということになる。

友達に馬鹿にされた事実を「否定」するのではなく、「受容」することで怒りの段階をスキップできるのではないか。

受容というアプローチ

この受容というアプローチは、仏教でも見られる。

仏教では生は思い通りにいかないことだらけの苦しみであるとしている。
そして執着を捨てることで、つまり受容することで苦しみから解放されるという。

諸行無常、万物は移り変わり、その変わっていくものに執着することで苦しみが生まれる。
すべてが変わっていくことを受容し、受け入れることで苦しみを減らすことができる。

プルチックの感情の輪

アメリカのアルバート・アインスタイン医科大学の名誉教授であったロバート・プルチックは感情の研究などで知られる。
プルチックは「感情の輪」という体系をまとめた。

その中の人間の基本感情の8要素が↓である。

  • 喜び
  • 受容
  • 驚き
  • 恐れ
  • 悲しみ
  • 嫌悪
  • 期待
  • 怒り

これによると心理学的に怒りを発生させる感情の1つである悲しみは、人間の基本感情になっている。

悲しみはなぜ生まれるのか?

悲しみ、胸が痛み、涙を流すという感情はなぜ生まれるのか?

たとえばこれが怒りであったら闘争のためとか色々考えられる。
しかし悲しみというのはつかみにくい感情である。

何かに否定され、拒絶されるとこうした悲しみは生じる。

ではなぜ否定されることでそういった悲しみが生じるようになっているのか?
人間という生き物は、この悲しみという感情を必要としているから持っているはずである。

ポジティブ心理学者のロバート・ビスワス=ディーナー博士によると、悲しみとは「自分をいたわる」役割があるという。

つまり、悲しみという感情は傷ついた自分を回復させるための感情ということらしい。
「悲しみに暮れる」というのは自分を回復している状態であるというのだ。

つまり上司に叱られたら、傷ついた自分の尊厳を回復させるために悲しみという感情が起動する。
そしてその悲しみからさらに怒りという感情が出てくる。
ということになる。

私たちはもっと悲しむべきか?

悲しみが自分を回復する役割があるとするなら、これはネガティブな感情ではあれど、必要なものになる。
怒りがあふれて自分を制御できなくなったら、その怒りの根っこにある悲しみという感情をもっと見たほうがいいのかもしれない。

悲しみという感情を持つようにして、自分を癒すことで、怒りも克服できるのではないか。

感情は電気信号であるという達観

あるいはこういう方法もある。
感情とはしょせん脳が作り出した電気信号だ。

つまり怒りとは脳に電気信号が流れている状態なわけである。

怒ってしまいそうなときは「自分の脳に電気信号が流れている!」と認識することで、怒りを客観視できるような気がする。
感情とは最終的に言えば脳の信号であるから、その信号を客観的に見つめることができれば感情に振り回されることも少なくなるのではないだろうか。

自分の感情を客観的に見れるようにコツを掴んでおくのは大事だ。
怒りが発生したときに怒りに振り回されず済むように色々なアプローチを行う出発地点となる。

おわりに

今回は思い出し怒りについて書いてみた。
思い出し怒りは非常に苦しい状態だ。
あなたのその苦しみが少しでもやわらぐことを願っている。

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