おかっぱとハンバーグ


夏の空は高く、クロワッサンのように小さい雲が点々と街を見下ろしていた。

電柱の頂上はカラリと乾いていて、蝉がジーワジーワと鳴いている。

土曜日の街中は車や人が行きかい、街路樹は鮮やかな緑を抱えて穏やかな風にそよいでいる。

アスファルトは熱を抱えて反射し、ハーフパンツやスカートを履いている人々の足元を照り付けていた。

街から生えるようにそびえる背の低いビルは、太陽に照らされて白く輝いている。


横断歩道の信号が青に変わると、1人の少女が歩き出した。

少女はおかっぱで、制服を着ている。左手には手さげ袋を下げている。

少女はスマホを見てぶつぶつと独り言を言いながら、暑く照り返す歩道を歩く。

しかしすぐに足を止めた。そしてこう呟いた。

「うーん、やっぱハンバーグにしようかな……」

「オムライスもいいけど……ハンバーグだよね……」

少女はスマホに表示されている料理のレシピサイトをスクロールさせながら、ぶつぶつと呟く。

すると、少女の近くの書店の壁際に設置されているベンチに座っていた老人が、少女に声をかけた。


「ちょい、そこのおかっぱの子……」

しかし少女は気づかずにスマホを見ている。

「ちょいちょい、おかっぱ嬢ちゃんや……」

少女ははっと気が付くと、老人の方を振り向いた。

「はい? 私ですか?」

「そうじゃ。すまんが」

老人は白いシャツを着て麦わら帽子を被っていた。ズボンとサンダルを履いている。年齢は60~70歳ぐらいに見える。可愛らしい犬っぽい顔つきをしていた。

「すまんが、道を教えてほしくてのぉ」

「道……ですか」

「そうじゃ、〇×公民館まで行きたいのじゃが」

「ああ、それならすぐそこですよ。案内しましょうか?」

「わるいのう」

老人はニカっと笑うと立ち上がり、少女のそばに寄った。

「えーと、こっちです」

おかっぱの少女は老人を案内する。


車通りの多い本道を逸れてわき道に入っていく2人。

白と灰色のビルが横並ぶ路地は人通りも少なく静かだった。

だが街の空気を感じ取れないほどではなかった。


「嬢ちゃんは中学生かい?」

老人は尋ねた。

「はい。そうです」

おかっぱの少女は答える。

「名前は何ていうんじゃ」

「田村です」

「下の名前は?」

「美緒ですけど」

「そうかいそうかい、わしは蓮司じゃ。中田蓮司。よろしくのぉ」

「よろしくって言ったってすぐそこですよ」

「そうかいそうかい」

老人はやや腰が曲がっている。少女は老人の歩く速度に合わせて一緒に歩く。少女が少し前に出ていて、老人はその斜め後ろから少女の後をついていく。

十字路を過ぎて2人は公園の横に出た。少女には、背の低いビルが並ぶこの街中で、その公園はオアシスのような場所に見えた。

「ちょいと、休んでいくかい」

「ええ?」

少女は立ち止まって老人の方を振り向いた。

「休んでいこ、休んでいこ」

老人は公園の中に入っていく。少女は両手を腰に置いて老人の背中を見つめる。しかし少女はすぐに老人の後についていった。

老人は公園のベンチに腰を下ろすと「ふー」っと息を吐いた。

少女はベンチの前に立ちスマホを見る。

「それ、あかんなぁ」

「はい?」

「ほれ、その、四角いの。電話」

「スマホのことですか?」

「そんなのは知らんが、今の若いものはみんなそれ、見とるじゃろ」

「はぁ……」

「電車に乗るとのう、みーんなそれを見てうつむいておるじゃろ。不気味でしょうがないんじゃ」

「そうですか……」

少女はスマホをスカートのぽっけに入れた。

「嬢ちゃん、こんなことを言うのはあれじゃが」

老人は少女の顔を見て言った。

「お前さん、今日は災難じゃのう」

「なにがですか?」

「わしにはわかるんじゃ」

老人はそう言うと、あさっての方を向いて視線をビルの谷間へ投げた。

「わかるんじゃなぁ」

「だから、なにがですか?」

少女は眉間にしわを寄せている。

「お前さんにこれから、良くないことが起こる。そういう気がするんじゃ、わしは」

「はぁ」


2人はしばらくその場所で休むと再び公園を出て歩き出した。

「ほら、〇×公民館はすぐそこです」

「そうかい、そうかい」

少女は老人の前を歩き、公民館の前に立った。老人は少し遅れて少女の元に来て、公民館を見上げた。

「ここじゃここじゃ、ありがとのう、嬢ちゃんや」

「いいえ、帰りは気をつけてくださいね」

「嬢ちゃんも、くれぐれも気をつけるんじゃぞ」

「はいはい、わかりました」

そう言うと少女は老人の元を離れて歩き出す。

しばらく歩くと少女はスマホを取り出してスラスラと操作した。


少女は街中の路地を抜けて通りに出る。まだ陽は高く、車もひっきりなしに車道を横切っていた。

土曜日の街中には薄着の若者からシニアまで幅広い年齢層の人達がいた。

少女は歩道を歩き、カフェやビルを横切っていく。しばらく進むと少女の左手にスーパーが見えた。

少女はそのスーパーの中に入っていく。

スーパーの中はまばらに人がいた。クーラーが効いてひんやりしていて、外の暑さとは対照的だった。

扉のすぐ近くにはパン売り場があり、店員が接客している。

少女はカゴを取り肉売り場に行くと、豚のひき肉をカゴに入れた。

それから野菜コーナーでタマネギとジャガイモを手に入れる。

少女はスマホを見ながら店の中を歩き、ジュース売り場でコーラのペットボトルをカゴに入れた。

そして唐獅子を手に入れ、同じくカゴに入れた。

その時、ふと少女は前にいた男に目を向けた。

男は棚に陳列されているチューインガムを一つ手に取ると、自分のズボンのポケットにねじ込んだ。

少女は一瞬目をパチクリさせたが、すぐにその男のそばに駆けよって言った。

「ちょっと、あなた、だめですよ」

男はぎょっとした顔で少女の方を振り返る。男は30代ぐらいの人相で、目つきは悪く、うっすらと無精ひげを生やしていた。

「それ、元の場所に戻してください。店員に言いますよ?」

男はしばらく少女を見ると、チッと舌打ちをしてポケットに入れたチューインガムを棚に戻した。

男はギロリと少女を睨むと、そのまま少女から離れて店の外に出て行った。

少女はその様子を最後まで見届けた。

すると後ろから女が一人、少女に声をかけた。

「ちょっとあなた、すごいわね。見てたけど」

少女は女の方を振り向く。

「ああ、はい」

「怖くないの? あんなの、店員に言いつけてやればよかったのに」

「ちょっと怖いですけど、でもいけないことですから」

少女は店の出入り口に目をやる。

「それにまだあの段階では万引きにはなっていないんですよね。未遂なんですよ。だから止められて良かったと思います」

「すごいわね~、最近の若い子は……」

女はひとしきり関心すると、その場から離れていった。


少女はレジに行くとカゴに入れた品物を清算した。

品物を、持っていた手提げ袋に入れる。

袋に品物を入れると、少女はカゴを持って出口に向かう。

そしてカゴが積んである山にカゴを入れる。

「あっと、忘れ物」

少女は自分が積んだカゴの端に転がっている唐辛子を手に取ると、スカートの右ポケットに入れた。

少女はスーパーから出て街の中に戻る。


来た道を戻りながらスマホを弄っている少女。

街の中を黙々と歩き、まばらな人の群れの間を縫っていく。

陽はまだまだ高い。暑い陽がアスファルトの地面を照り付ける。

歩道沿いの花壇の花々は乾いたようにその頭をもたげる。

ビルの工事現場の作業員は額に大粒の汗を浮かべながら作業をしていた。

その横を少女は黙々と歩く。スマホにはまとめブログが映っている。

少女はニヤニヤしながらそのブログを読んでいる。

横断歩道の信号が青から赤になり、少女は足を止める。

スマホをスカートのポケットにしまって目の前の車が泳ぐ川を目で追いかける。

セダンやらワゴンやらがびゅんびゅんと過ぎ去り、少女のさらさらとしたおかっぱの髪を揺らす。

少女は信号が青になると再び歩き出した。

本道から逸れて路地へ入る。そこは商店街だった。人もまばらで元気のない商店街だ。

少女はすたすたと歩く。やがて商店街を抜け民家の並ぶ通りに出る。


「ワンワン」

少女が民家の前を通り過ぎようとすると、民家の庭に繋がれている犬が鳴き声を上げた。

犬は大人の柴犬で、毛色はキツネ色だった。丸いふたつの瞳を少女に投げかけていた。

少女は犬から少し離れたところ、路上にかがむと、犬に話しかける。

「どうしたの。ここから出たいの?」

少女はあどけない表情で犬と目線を合わせる。

「ワンワン」

「でも私は、あなたをここから出せないんだよね~ごめ…もが」

少女の後ろをジョギングをする女が走り抜けていった。少女は犬に話しかける途中であわてて口を閉じた。

少女はジョギング中の女の背中を目で見届けると、再び犬に向きなおった。

「君に話しかけてる所見られちゃったかな? 恥ずかしいね~」

「クーン、クーン」

「君、さっきのお爺さんに似てるね、顔が」

犬は首をかしげる。

「今日はハンバーグにするんだ。これから帰って、遅めの昼ご飯」

「ハッハ」

「うらやましい? そうか~。もう行かないと。じゃーね、シバ助」

少女は立ち上がると、犬に手を振って歩き出した。

犬は少女の背中をいつまでも見つめている。


少女は足取りを軽く住宅街の中を進む。

右手にはスーパーの袋。制服のスカートが歩くたびにかすかに揺れる。

ふと少女は背後に気配を感じた。

しかし少女が振り向いてもそこには誰もいなかった。

T字路の壁沿いには民家が並んでいる。

少女は元に戻りしばらく進むと、また足を止めた。

少女の後ろから足音が近づいてきていた。

少女は振り返る。黒い影が少女の眼前を覆った。影は少女の持つ手さげ袋を掴む。そしてそのまま走り抜けようとした。

少女は両手で手提げ袋を持ち抵抗した。黒い影の正体はさっきスーパーでチューインガムを万引きしようとした男だった。

「あなたはさっきの……なにするんですか! 放してください!」

「うるせぇ!」

男はそう怒鳴ると力いっぱい袋を引っ張った。しかし少女は全体重をかけてそれに抵抗する。

少女ははっとした顔になり、スカートの右ポケットに片手を突っ込んだ。

そして唐獅子の缶を取り出すと、口で缶のふたを開ける。

「これでも食らえ!」

少女は唐獅子の缶の中身を男めがけて振りかける。唐獅子の粒は男の目に入った。

「ぎゃ!」

男はその顔をくしゃくしゃにして悲鳴を上げる。男は袋から手を離し、両手で顔を覆った。

少女は男が手を離した拍子にその反動で地面に尻もちをついた。

「痛っ! ……わはは! ざまーみろ!」

尻もちをついた少女は勝ち誇る。

「ぐっ……」

男はしわくちゃの顔に薄目を作ると、少女を睨んだ。しかしその顔は赤く充血し、こっけいなものに見える。

男は来た道を戻って走り去ろうとする。

少女は立ち上がると男を追いかけた。

「待て! ひったくり!」

閑静な住宅街に少女の叫び声が響く。少女は男を追いかける。男は逃げる。

太陽が照り付けるアスファルトの上を大の男と小柄な少女が走り回る。

しばらく2人が追いかけっこをしていると、2人の前方に犬を連れた老人が現れた。

老人は少女が公民館に案内したあの老人だった。

「おじいさん! その人、ひったくり!」

少女がそう叫ぶと、犬のような老人の顔は引き締まり、あっという間に鬼のような形相に変わった。

老人は男の前方に立って構えると、男をつかんで巴投げをした。

男が宙を回る。そして男の背中がアスファルトの地面に叩きつけられると、男は「ぐはっ」と息を吐き、その場にもだえた。

老人は背中をついた状態から起き上がると言った。

「卑劣漢め。ワシが成敗してくれる」

しかし老人の前方には少女がいるのみだった。

「お爺さん! あっちあっち!」

男は膝を突き起き上がろうとする。

「……じじい!」

すると老人の手を離れた犬が男の首にかみついた。

「うわあ! 助けてくれぇ!」

男は再び地面に転がり、犬を離そうともがいた。

「よーしよしよし」

老人はズボンのベルトを外すと少女に渡した。

老人が男を押さえつけると、少女はそのベルトで男の両手を縛る。

「私、警察呼びます」

少女はスマホを取り出すと110番をした。


警察が来ると、少女と老人は事情聴取に答えた。

男は連行される。男は頭をうなだれて、地面に視線を刺しこむようだった。

しかし男はパトカーに押し込められると、閑静な住宅街から無言のまま運び出されていった。


「お爺さん、ありがとうございました。おかげで助かりました」

少女は老人に頭を下げた。

「なんの、お安い御用じゃて。怪我が無くてよかったのう」

「あ、その犬」

少女は老人の連れている犬に顔を向ける。

「この犬、お爺さんの犬だったんですか」

「そうじゃよ。なんじゃ顔見知りか」

「ちょっとね~。ね、シバ助」

犬はハッハッと息を弾ませ少女に応える。

少女は犬の頭をなでた。


ぎらぎらと暑い太陽が薄い雲に覆われた。

あたりはうっすらと曇り、涼しさが香るようだった。

少女は老人に手を振ると、手さげ袋をさげて家路に着く。

そして家に入ると、台所でひき肉を丸めてフライパンの上に置いた。

「今日はハンバーグ」

少女はつぶやく。じゅうっという肉の焼ける匂いが台所に充満した。



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